無法松の一生は小説家・岩下俊作の同名小説、およびこれを原作とした映画・演劇。小説は当初『富島松五郎伝』の題で「九州文学」1939年10月号、「オール読物」1940年6月号に掲載され、第10回直木賞候補作(本賞受賞できず)となったが、後年の映画があまりの人気となったため、後に映画にならい改題した。
映画は4度製作されたが、特に名高いのは伊丹万作(伊丹十三の実父)が脚本、稲垣浩が監督を2回つとめた作品。舞台は昭和17年、文学座で初演以来幾度となく、宝塚歌劇団から歌手の座長公演などまで多岐の団体で演じられてきた。
村田英雄 昭和4(1929)年1月17日〜平成14(2002)年6月13日 享年73 佐賀県出身 本名=梶山勇
福岡県生まれ。梶山春雄の養子となり、梶山春雄一家は佐賀県へ引っ越す。3歳で茶目丸と称し初舞台を踏む。7歳で九州の大物浪曲師酒井雲門下に弟子入りし、酒井雲坊と称し13歳で真打昇進、14歳で「酒井雲坊一座」の座長となり、その後も九州で地方公演を続ける。
昭和22(1947)年に少女浪曲師の野口ユイ子氏と結婚。1949年日本一の浪曲師を夢見て上京し、25歳で村田英雄に改名。1958年29歳の時に古賀政男に見出され、無法松の一生で歌手デビューした。しかし当初はヒットに恵まれず、「百姓をした方がましだ」と云って九州へ帰った事もある。
だが3年後の1961年、32歳の時に、作詞=西条八十、作曲=船村徹の王将がミリオンセラーとなり、翌1962年に日本レコード大賞特別賞を受賞。無法松の一生、人生劇場なども徐々に注目され始め、大御所の仲間入りとなった。その後も浪曲で鍛え上げたドスのきいた低音で男の世界を歌いあげた。長年、三橋美智也、春日八郎らと演歌をリードし、1988年にはこの二人と三人の会を結成し活動した。(出典=ウィキペディア)


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