1926年6月1日、ロサンゼルス生まれ。本名ノーマ・ジーン・モーテンソン(後に洗礼を受け、ノーマ・ジーン・ベイカーと改名)。ハリウッドを代表するコメディアンヌとして、また50年代のセックス・シンボルとして不動の地位を確立した彼女は、同時に歌手としての才能にも溢れていた。
初めてその歌声を披露したのは、ミュージカル映画『レディース・オブ・ザ・コーラス』(48年)にて。レスター・リーとアラン・ロバーツのナンバー「Every Baby Needs A Da-Da-Daddy」であった。続いて、『紳士は金髪がお好き』(53年)では、「Diamonds Are A Girl's Best Friends」、ジェーン・ラッセルとデュエットした「Two Little Girls From Little Rock」「Bye Bye, Baby」、ホーギー・カーミッチェルとハロルド・アダムソンのナンバー「When Loves Goes Wrong」を。ロバート・ミッチャムと共演した54年の作品『帰らざる河』では、その劇中で、酒場の歌手に扮し歌った「I'm Gonna File My Claim」がヒット。同年に公開されたミュージカル映画『ショウほど素敵な商売はない』からは、ドナルド・オコナーとのデュエット「A Man Chases A Girl(Until She Catches Him)」「After You Get What You Want You Don't Want It」「Lazy」「You'd Be Surprised」などが有名であろう。
ゴールデン・グローブ賞を受賞した彼女の代表作『お熱いのがお好き』(59年)においては、「I'm Through With Love」「I Wanna Be Loved By You」「Running Wild」がフィーチャーされている。また、コール・ポーター作曲の魅惑的なヴァージョン「My Heart Belongs To Daddy」をイヴ・モンタン、フランキーボーンとデュエット曲で・・・これは、『恋をしましょう』(60年)の中で聴くことができる。この映画からは他にも、「Specialization」「Incurably Romantic」、タイトル曲の「Let's Make Love」といったヒットが生まれる。
そして彼女が最後にその歌声を披露したのは、62年の5月、マディソン・スクエア・ガーデンで行われたJ.F.ケネディの誕生日を祝う式典でのこと。「Happy Birthday Mr.President」と「Thanks For The Memory」を歌った。・・・その約2ヶ月後の8月5日、睡眠薬過剰摂取による急性バルビツール中毒で他界(死因についての真相は、他殺説を含め未だに謎のままである)。葬儀では、ジュディ・ガーランドの「虹の彼方に」が演奏された。彼女の死を悼んで作られた曲に、エルトン・ジョンの「キャンドル・イン・ザ・ウインド」などがある。(Yミュージック)
もう2度と彼女のような女優は誕生しないであろう。本名はNorma Jean Baker。私生児として生まれ、母親が精神病院への入退院を繰り返していた為、里親や孤児院を転々とする暗い子供時代を過ごす。
16歳の時に工員と結婚するが離婚後、男性雑誌のモデルなどをして生計を立て、46年にFOXと契約を結んで47年に“Dangerous Years”の端役で映画デビュー。売れない時期が続いたが、52年、「ノックは無用」で初主演して注目をされるようになり、以後、「ナイアガラ」、「紳士は金髪が好き」などで人気を不動の物とする。
故ケネディ大統領などとのスキャンダルもあるが、結婚は3回。工員と、野球選手のジョー・ディマジオ、劇作家のアーサー・ミラーだが、その全てが離婚に終わっている。そしてディマジオとよりを戻しつつあった62年8月4日、ロサンジェルスの自宅で、睡眠薬の多量摂取により死亡しているのが発見される。
その後、自殺説などの噂が流れるが原因はいまだ不明。撮影中だった作品は製作中止となった。“セックス・シンボル”の代名詞とも言われ、世の男性陣を魅了し続けた彼女も内面的にはかなり複雑なものがあり、その経緯を題材にした「ノーマ・ジーンとマリリン」が後に製作されている。(Yムービー)
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