
【愛宕山】(あたごさん)
【登場人物】
一八(いっぱち=幇間)
旦那
繁造(旦那のお供)
【概要】
早蕨(さわらび)の 握りこぶしを 振り上げて 山のほおづら 春風ぞ吹く(蜀山人)
幇間の一八を供に連れて東京から上方へ来た旦那。京都で遊んでいるうちに思い立ち、愛宕山へ登る事になる。山登りなんて朝飯前ってんでねっ、登り始めるが、普段運動などとは無縁の幇間、登れる訳が無い。供の繁造に助けてもらい何とか、先に登った旦那が待つ茶店まで辿り着いた。
茶店で一休みすると、旦那は愛宕山名物の土器(かわらけ)投げを始めます。 旦那の腕はなかなかのもので、次々と的の輪を通過しますが、やがて旦那は土器の代わりに小判を投げ始めます。一八は気が気じゃない。「しゃれになりませんよ旦那。投げるんなら、私を的にして下さい」
三十両の小判は、一枚も的の輪をくぐらず旦那はくやしがりますが、一八はそんなことより小判はどうなるのか聞くと、拾った人のものだと云われ、茶店から傘を借り谷底へ飛び降ります。小判は回収したが、「どうして登る〜。欲張り〜。狼に食われて死んでしまえ〜。先に帰るぞ〜」。「待って下さいよ〜」
さあどうする一八! 着物を引き裂いて縄を作り、嵯峨竹に絡めて、竹の弾力を利用して、ヒラリと旦那のところまで駆け上がった。
「ただいま帰りました!」
「えらいやつだな! きさま、生涯贔屓にするぞ!」
「ありがとう存じます」
「金はどうした!」
「あっ、忘れてきた」
【資料音源】
@八代目 桂文楽 落語全集第一集/SHO-KB01・・・昭和28(1953)年12月13日(61歳)20:05/ラジオ東京スタジオライブ
A落語塾 第三回 音盤弐/FOCG-2655・・・?22:11
B落語名人会3/古今亭志ん朝(3)/SRCL-2783・・・昭和53(1978)年4月6日(40歳)/三百人劇場
Aの音源のデータは、保田武宏さんが@と同じものとしているのですが、出囃子や長さが違いますので別音源です。ホール落語のような音、声の感じからして、1964/5/31の東宝名人会のモノと思われます。
【雑感】
愛宕山は現京都市左京区上嵯峨北部にある標高924メートルの山。東京の港区芝にある愛宕山は、海抜45メートルの丘だが、京都の愛宕大権現を祀っている。だから本来は「あたごさん」と云うべきなのだが、「あたごやま」と呼び習わしている。NHK発祥の地として、「あたごやま」で通っている。
京都の山の噺であるから上方落語である。三代目 三遊亭圓馬(昭和20年没)が、東京に持って来たものを、圓馬に師事した文楽が受け継いだ。上方落語では、繁造は繁八(しげはち=幇間名は東京は一八、上方は繁八が普通)となる。また、志ん朝さんの土器(かわらけ)投げは、輪をくぐらせますが、文楽師匠のは的に当てます。小文枝師匠などの口演では、旦那が投げて的に当った時に、お囃子か前座が鉦を鳴らします。この方が、クレー射撃のようで面白いと思うのですが、実際の愛宕山ではどのようなスタイルなのか・・・私も一八同様、登るのがしんどいので調査はしていません。
この演目は、力む演技が多いので、晩年狭心症の発作があった文楽に、この演目のドクター・ストップが掛かった。だが黒門町はそれを聞き入れず、最後の年まで上演した。
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