2006年07月31日

じんじろげ

じんじろげちんちくりんのつんつるてん
まっかっかの おさんどん
お宮に願かけた 内緒にしとこ

ジンジロゲ ヤ ジンジロゲ
ドレドンガラガッタ
ホーレツラッパノツーレツ
マージョリン マージンガラ チョイチョイ
ヒッカリコマタキ ワイワイ
ヒラミヤ バミヤ チョイナダ ディーヤ
ヒラミヤ バミヤ チョイナダ ディーヤ
チョイナダ ディーヤ
チョイナダ ディーヤ
ヒッカリ コマタキ ワイワイ
ヒッカリ コマタキ ワイワイ

おっぺけぺえの すってんてん
まっくろけの じんじろべえ
お宮に 願かけた 内緒にしとこ

おさんどんと じんじろべえ
まっかっかと まっくろけ
お宮で結んだ 内緒にしとこ
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ニックネーム 茶金 at 09:39| Comment(0) | 物置

2006年07月30日

東京ブギウギ

boogie-woogie

 東京ブギウギ〜リズム浮き浮き〜・・・

 リンゴの唄の哀愁よりも、この唄のリズムが戦後の復興の行進曲になったのではないか? と、私は分析している。
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ニックネーム 茶金 at 02:49| Comment(0) | 物置

2006年07月29日

大仏餅

大仏餅 数多くある三遊亭圓朝作三題噺の一つ。

 昭和46(1971)年。6月に出来たばかりの国立劇場小劇場で、8月に黒門町はこの演目をやった。78歳と云うご高齢もあったのだろうが、どう云う按配か途中で登場人物の名前を失念してしまった。
 「勉強し直してまいります」と云って、途中で噺を止めて高座を降りてしまった。その後、一度も高座には立たず、その年の12/12に、79歳で亡くなってしまった。
 名人の、「話芸」に対する厳しさとは、斯くの如くなんです。最近のデモシカとは大違いです。

 データ・・・八代目 桂文楽 明治25(1892)年11月3日〜昭和46(1971)年12月12日 享年79歳 前名=翁家馬之助 出囃子=野崎 通称=黒門町
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ニックネーム 茶金 at 19:29| Comment(0) | 物置

2006年07月28日

半分垢

いえ〜、半分雪です。と控え目に 落語のルーツは、寺方の法話だと云う事が判る演目です。
 笑いの中に、森羅万象の真理を伝えるのです。
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ニックネーム 茶金 at 13:12| Comment(0) | 物置

2006年07月27日

夏休み

水撒き 夏休み〜 ああ夏休み 夏休み

 「夏休み」と云う言葉は、「お正月」と共に、実〜に甘美な言葉だ

 大人から子供まで、夏休みの嫌いな人っているだろうか?・・・いや、いない。ノット・オンリー・バット・オールソーである

 私なんざ、一年が、お正月と夏休みだけしかない国があったら、ぜったい、その国に住むな

 はなはだ簡単ではございますが・・・暑くってこれ以上書く気がしないので、おしまい

麦わら帽子は もうきえた たんぼの蛙は もうきえた それでも待ってる 夏休み
姉さん先生 もういない きれいな先生 もういない それでも待ってる 夏休み
絵日記つけてた 夏休み 花火を買ってた 夏休み 指おり待ってた 夏休み
畑のとんぼは どこ行った あの時逃がして あげたのに ひとりで待ってた 夏休み
すいかを食べてた 夏休み 水まきしたっけ 夏休み ひまわり夕立 せみの声

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ニックネーム 茶金 at 08:32| Comment(0) | 物置

2006年07月26日

夏休み

吉田拓郎 広島フォーク村と云う、集まりから出て来たのだが、まさか、ココまでになるとは思わなかった。最初は、ソノ・シートで聴いたような気がする。それから、URCレコード経由でエレックだったかな・・・?
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ニックネーム 茶金 at 13:57| Comment(0) | 物置

2006年07月24日

キティ・ウエルズ

キティウエルズKitty Wells / Making believe

Making believe that you still love me
It's leaving me alone and so blue
Still I'll always dream I'll never own you
Making believe it's all I can do

Can't hold you close when you're not with me
You're somebody's love you'll never be mine
Making believe I'll spend my lifetime
Loving you and making believe

Making believe I never lost you
My happy hours I find are so few
My plans for the future will never come true
Making believe what else can I do

Making believe I'll spend me lifetime
Loving you and making believe

 私なんかがカントリー音楽を聴き始めた頃は、キティ・ウエルズと云えば・・・そりゃ、あ〜た、パッチィ・クラインと共に大変な人気だった。だけど今じゃ、古きよき時代を知る人の言の葉にしか上らない。
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ニックネーム 茶金 at 04:37| Comment(0) | 物置

2006年07月23日

自動車ショー歌

小林旭 小林旭 その名を耳にしただけで、心地よいノスタルジーが全身を襲う。

 当たり前である、小林旭という存在自体がドラマなのだから。彼から派生するさまざまなイメージ・・・波止場、渡り鳥、ギター弾き、旅人、任侠、無宿、さすらい、銀座、くるま…。多くの日本人が夢見る生き様は、すべてアキラ・ワールドに集約されるのだ。

 『南国土佐を後にして』『ギターをもった渡り鳥』『関東無宿』『仁義なき戦い』シリーズなどなど、ドメスティックなカタルシスを過剰に煽る名作の数々。人々はこぞって映画館に駆けつけ、アキラを堪能していった。

 また、歌手としての評価も異常に高い。演歌/民謡/アメリカン・ポップス/ラテン音楽と、遊び心と実験精神にあふれたサウンドもさることながら、その曇り気味でカン高い歌唱は強力なフックとなり観衆の心をとらえたようだ。

 マイティーな趣の「ダイナマイトが百五十屯」、ビターな駄洒落満載「自動車ショー歌」、男節全開の「ギターをもった渡り鳥」、大滝詠一作曲による「熱き心に」…決して色褪せることはなかろう。(Yミュージックから転載)

 裕次郎は「タフガイ」。そして、我が旭は、「マイトガイ」だ。裕次郎のワルさは、どこかお坊ちゃんなのだ。ターキーによって作られたキャラクタだから詰まらない。それに引き換え旭は、真のワル的演技が出来た。ここで「ワル」と云っているのは「悪役」と云う意味ではない。作り上げられた悪者的イメージのキャラクタと云う意味だ。
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ニックネーム 茶金 at 21:47| Comment(0) | 物置

2006年07月22日

カマボコ

カマボコ 蒲鉾(かまぼこ)は、主としてスケトウダラなどの白身魚のすり身を主原料とし加熱により木の板(臭みのないモミ、シラベなどの木が好まれる)の上にゲル化させて製造した魚肉練り製品。なお、かまぼこの歯応えは麺類で言われる「コシ」とは言わず「足(あし)」と呼ぶ。

 古くは現在の竹輪状のものを指していた。その形が蒲の穂に似ていたことから、「蒲鉾」と呼ばれるようになったとされる。後に板の上に成形した「板蒲鉾」が登場し、区別のために「竹輪蒲鉾」と呼び分けていたが、元祖の方は「蒲鉾」が脱落して単に「ちくわ」となり、板蒲鉾の方は逆に板が外れて「蒲鉾」になった。文献では1115年の宮中に出されたものが最古とされており、業界団体が語呂合わせで11月15日を蒲鉾の日としている。

 白身の魚は高価であり、蒲鉾もご馳走と考えられた。贈答品として用いられ、おせち料理にも利用される。豊臣秀頼の大好物であったと伝えられる。

 加熱済の食品であり、薄切りにしてそのまま食べるのが普通である。人によっては少量のわさびや醤油をつけて食べる。これを板わさと呼び、居酒屋の他に蕎麦屋でも提供される。また、切り分けるだけで調理の手間がかからないため、朝食に用いられることも多い。軽く火を通して焦げ目を付け酒の肴にするのも良く、こちらは生とは違った味わいがある。(出典=ウィキペディア)

 日本各地に、それぞれの名産カマボコがある。ちなみに、「夕月」は、板カマボコの生産では日本一の、福島県いわき市小名浜にある。
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ニックネーム 茶金 at 19:07| Comment(0) | 物置

2006年07月21日

旗本退屈男

さおとめもんど さすがの私も、ナイアガラの大将の感性には脱帽です。

 うるせ〜。いつ俺がイクサに行った〜!

 失礼いたしやした〜・・・ポゥ!続きを読む
ニックネーム 茶金 at 07:46| Comment(0) | 物置

2006年07月20日

あなたならどうする

いしだあゆみ いしだあゆみ 本名=石田良子 昭和23(1948)年3月26日〜 女優。大阪府池田市出身。四姉妹の三女。姉がフィギュアスケートコーチでグルノーブルオリンピック代表選手の岡本治子(石田治子)、妹に元女優の石田ゆり(なかにし礼夫人)。

 フィギュアスケート選手を経て、1963年芸能界デビュー。翌1964年「ネェ聞いてよママ」でレコードデビューし、歌手とタレント活動を続け、1968年にレコード会社を移籍。その年暮れに発売された『ブルー・ライト・ヨコハマ』が1969年初頭から大ヒット、紅白歌合戦に9年連続出場を果たした。

 その後は女優に転向。1986年映画『時計〜Adiue I'Hiver』ではフィギュアスケートのコーチ役を演じている。1989年上半期、清水美砂とともにNHK総合テレビの『連続テレビ小説 青春家族』のヒロインを務めた。

 2003年度下半期に放送された『同 てるてる家族』(原作、なかにし礼『てるてる坊主の照子さん』)で上原多香子が演じた岩田夏子はいしだがモデルとされ、自らもクラブの歌手の役柄で出演している。(出典=ウィキペディア)
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ニックネーム 茶金 at 20:36| Comment(0) | 物置

2006年07月19日

幾代餅

幾代餅^^ 医者の藪井竹庵を呼んで来い。医者は下手だが、女郎買いは上手ぇ〜んだ。・・・どうしましたな。病人はどちらです。・・・いや、病人じゃないんです。病人だったら、おまはんは呼ばない。おまはんに見せたら、殺されちゃう。

 日本橋の料理屋「百川」、麻布の「おかめ団子」同様、両国に実際にあった「幾代餅」を題材にした噺。CM落語の一つと云われている。
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ニックネーム 茶金 at 09:48| Comment(0) | 物置

2006年07月18日

ヴィヴァルディ アントニオ・ヴィヴァルディ Antonio Vivaldi 1678年3月4日〜1741年7月28日 享年63 バロック末期の作曲家 イタリアのヴェネツィアに生まれ、オーストリアのヴィーンで没

 サン・マルコ大聖堂付きオーケストラの一員であった、理髪師でバイオリニストの父親からヴァイオリンを学ぶ。10歳より教会付属の学校に入り、25歳に彼は司祭に叙階される。そのことと、彼が赤毛であったことから赤毛の司祭と呼ばれるようになる。

 彼は喘息を煩っており、ほとんどミサをあげることがなかった。司祭になると同時にヴェネツィアのピエタ慈善院付属音楽院(Ospedale della Pietá) でバイオリンを教えはじめ、2年後には作曲と合奏を教えるようになる。その後、数多くの作曲をし、各地を演奏旅行して回った。

協奏曲第1番 ホ長調、RV.269「春」(La Primavera)

アレグロ
 春がやってきた、小鳥は喜び囀りながら戻って来て祝っている、水の流れと風に吹かれて雷が響く。小川のざわめき、風が優しく撫でる。春を告げる雷が轟音を立て黒い雲が空を覆う、そして嵐は去り小鳥は素晴らしい声で歌う。鳥の声をソロヴァイオリンが高らかにそして華やかにうたいあげる。
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ニックネーム 茶金 at 10:29| Comment(2) | 物置

2006年07月17日

夏どろ

小さん 小さん師匠は、文楽師匠の弟子でしたから、間抜けな泥棒噺は上手いです。

 落語に出て来る泥棒は、大抵間抜けで、盗むどころか、逆に巻き上げられちゃうのがほとんどです。

 お馴染み様が、落語好きだった夏目漱石と三代目 小さんの事を調べて下さいました。ありがとうございます。漱石が、小さんの事を書いていたのは知っていたのですが・・・「三四郎」に書いてあったとは知りませんでした。

 もしかしたら、三代目 小さんの、この演目を聴いて、漱石は「三四郎」を書いたのかも知れないと思いました^^。泥棒さんが池に飛び込んで杭につかまる。こんなシーンが「三四郎」にあったと思います。現東大にある、三四郎池の名前の由来です。私は、近所なので、子供の頃にこの池でザリガニを採りました。その時には、三四郎も泥棒もいませんでした。

 データ・・・五代目 柳家小さん 大正4(1915)年1月2日〜平成14(2002)年5月16日 享年87 前名=九代目 柳家小三治 出囃子=序の舞 本名=小林盛夫 人間国宝
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ニックネーム 茶金 at 16:51| Comment(0) | 物置

2006年07月16日

緑の風のアニー

 ジョン・デンバーが嫌いと云う人がいるだろうか?

 まあ、特に指摘が出来ないので、なかなかそう云う人はいないでしょう。

 この、アコースティック・サウンドが何とも云えんですな^^。志ん生の落語と同じで、ダメなのが、ほとんどない歌手です。

 この歌の原題は、単に Annie's Song です。

ジョンデンバーYou fill up my senses
Like a night in a forest
Like the mountains in springtime
Like a walk in the rain
Like a storm in the desert
Like a sleepy blue ocean
You fill up my senses
Come fill me again

Come let me love you
Let me give my life to you
Let me drown in your laughter
Let me die in your arms
Let me lay down beside you
Let me always be with you
Come let me love you
Come love me again

You fill up my senses
Like a night in a forest
Like the mountains in springtime
Like a walk in the rain
Like a storm in the desert
Like a sleepy blue ocean
You fill up my senses
Come fill me again
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ニックネーム 茶金 at 20:45| Comment(0) | 物置

2006年07月15日

五木の子守唄

五木の子守唄 五木の子守唄は、熊本県球磨郡五木村に伝わる子守唄で、現在では熊本県を代表する民謡としても知られる。

 日本の民謡や、わらべ歌などで、「子守唄」とされる歌には、本来の子守唄(子供を寝かしつけるための歌)と、守り子唄(もりこうた)と呼ばれる唄とがあると云われており、五木の子守唄は、守り子唄のひとつ。

 守り子唄とは、子守をする少女が、自分の不幸な境遇などを歌詞に織り込んで子供に唄って聴かせ、自らを慰めるために歌った歌。かつて子守の少女たちは、家が貧しいために、「口減らし」のために、預けられる事が多く、境遇は下女や奴隷とほとんど変わらなかったと云う。歌詞にある「おどま勧進勧進」は、「私は乞食」と云う意味。(出典=ウィキペディア)

おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よくりゃ早よもどる
(子守奉公も盆で年季が明け 恋しい父母がいる古里に帰れる日が待ち遠しい)

おどま勧進勧進 あん人達ゃよか衆(し) よか衆よか帯 よか着物(きもん)

おどんが打っ死(ち)んだら 住環(みち) ばちゃ埋(い)けろ 通るひと毎(ご)ち 花あぐる
(私が死んでも墓参りなどしてくれないだろう それならば人通りがある道端に埋葬してもらったほうが誰かが花でもあげてもらえるだろう)

花はなんの花 ツンツン椿 水は天からもらい水
(あげてもらう花は何でもいいが 道端にたくさんある椿でよい 水がなくても雨が降ってくるから)

明日は山越え どこまで行こか 鳴くは裏山 蝉ばかり
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ニックネーム 茶金 at 14:02| Comment(2) | 物置

2006年07月14日

通りゃんせ

千歳飴 通りゃんせ (とおりゃんせ)は、江戸時代に成立したと思われるわらべ歌。ロンドン橋と同様の遊び方もある。

 関所を舞台とすると云う説(出立は楽だが帰還の際は厳しく調べられると云う歌詞)や、埼玉県川越市の三芳野神社が舞台であると云う説がある。

 横断歩道に設置されている音響装置付信号機には、この『とおりゃんせ』や『故郷の空』を青信号のメロディに採用しているものが多かった。最近では・の鳴き声(南北方向がスズメのさえずり、東西方向はカッコーの鳴き声)を模した信号機に置き換えられつつある。

 歌詞 作詞=不詳 編・作曲=本居長世

通りゃんせ通りゃんせ ここはどこの細通じゃ 天神さまの細道じゃ
ちょっと通して下しゃんせ 御用のないもの通しゃせぬ この子の七つのお祝いに
お札を納めにまいります 行きはよいよい帰りはこわい こわいながらも通りゃんせ 通りゃんせ

通りゃんせ通りゃんせ ここは冥府の細道じゃ 鬼神様の細道じゃ
ちょっと通して下しゃんせ 贄(にえ=供え物)のないもの通しゃせぬ この子の七つの弔いに
供養を頼みに参ります 生きはよいよい還りはこわい こわいながらも通りゃんせ 通りゃんせ

 遊び方
 二人の子供が向かい合って立ち、両手を繋いで上げて関所を作り、他の子供たちが列になってこの手の下をくぐって行く。この間、『とおりゃんせ』を歌い、歌の終わりで両手を挙げていた子供がサッと手を下ろす。ちょうどそこにいた子供が捕まって、関所役の子供と交代する。(出典=ウィキペディア)
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ニックネーム 茶金 at 22:44| Comment(0) | 物置

2006年07月13日

ガッツ

気合だ ガッツ guts とは、根性とかやる気の事。

 根性論(出典=ウィキペディア)
 苦難に屈しない精神=根性があれば、如何なる問題も解決できる。または、如何なる目標にも到達できるとする精神論の一つ。

 近年では、人間の限界を引き上げるものとする考え方の一方、逆に軍国主義の精神論に近い人間の尊厳を軽んじる思想として厳しく批判されるなど、その賛否は大きく分かれる。

 根性とは、本来は仏教用語で、「その人間が持って生まれた性質」と云うような意味合いの言葉で、これが現在のような意味合いに変化(誤用)されるようになったのは、昭和39(1964)年の、東京オリンピックの女子バレーボール日本代表チーム(いわゆる『東洋の魔女』)に特訓を課し、金メダルに導いた指導者大松博文監督の発言がきっかけと云われている。

 気合だぁ〜!・・・って、元プロレスラーがやってるのも、ガッツや根性論の一種ですね。日本の戦国時代には、エイ・エイ・オー!って云う、鬨(とき)の声も、講談などでは語られ、時代劇ドラマなどでは見受けます。ワァー!とか、おかあさ〜ん!ってのも、鼓舞する掛け声の一種なのかも知れない。
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ニックネーム 茶金 at 03:32| Comment(0) | 物置

2006年07月12日

江島屋騒動(下)

イカ【江島屋騒動(下)】(えじまやそうどう)

【登場人物】
お松(お里の母親)
金兵衛(江島屋の番頭)

【概要】
 江島屋は、「いか物」を承知で売って店を大きくしていた。

 江島屋の番頭=金兵衛は、下総の帰りに道に迷い日が暮れる。田んぼの真ん中で人家を見付け宿を乞う。そこにいたのは、67,8の婆さん。きな臭いので夜中に目を覚ました金兵衛は、障子の破れ目から婆さんの行動を見て驚いた! 藁人形に五寸釘を打ち付けている。

 事情を聞くと、娘が江島屋の「いか物」の婚礼衣装の為に入水してしまった。だから江島屋を皆んな呪い殺す。つまり、この婆さんはお里の母親=お松だった。金兵衛は自分の店の「糊付けのいか物」の為にこんな事になってしまったので、婆さんに二両渡して早々に江戸へ帰る。

 店へ帰ると「忌中」の札が下がっている。その後も立て続けに小僧が死ぬ。蔵の調べがあると旦那に誘われて蔵の前まで来ると、蔵の中に若い女の幽霊を見たので、下総であった事を旦那に話す。その婆さんは石で五寸釘をこう打った。と話したら、旦那が『痛い!』と云う。『えっ?』。こうやってカシーンと・・・『オイオイ!両目が見えなくなっちゃったよっ!』と旦那が云った。

『ひぇーっ! 旦那ーっ! 「いか物」は、いけませんよーっ!』

【資料音源】
@古今亭志ん生名演集(23) PCCG-000306・・・昭和31(1956)年10月録音 66歳 25:03

【雑感】
 明治二年、三遊亭圓朝、31歳の時の作の怪談噺。『鏡ヶ池操松影』(かがみがいけみさおのまつかげ)。

 着物の破れたのなんかを判らないように隠しているのを、『江島屋じゃねぇ〜か』と云ったそうです。

 昔の寄席は15日間興行であり、毎晩トリ(最後の演者)の真打ちが、長編を15話完結で語り継いだ。この江島屋騒動の(上)(下)は、長い複雑なストーリーの中間部分の二席です。
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ニックネーム 茶金 at 01:51| Comment(0) | 物置

2006年07月11日

按摩の炬燵

炬燵 夏の我慢会。嗚呼寒い!炬燵が欲しい!

 データ・・・八代目 桂文楽 明治25(1892)年11月3日〜昭和46(1971)年12月12日 享年79 前名=翁家馬之助 出囃子=野崎 通称=黒門町
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ニックネーム 茶金 at 16:58| Comment(0) | 物置

2006年07月10日

森の小径

灰田勝彦ほろほろこぼれる
白い花を
うけて泣いていた
愛らしいあなたよ

ムムム・・・・

憶えているかい
森の小径
僕もかなしくて
青い空仰いだ

なんにも言わずに
いつか寄せた
ちいさな肩だった
白い花夢かよ

 灰田勝彦(はいだかつひこ) 明治44(1911)年8月20日〜昭和57(1982)年10月26日 享年71 ホノルル生まれ。一家は、広島からハワイに渡った。勝彦が小学生の時に父親が急逝したので、母親、兄の晴彦と共に帰国するが、日本とハワイとの環境があまりにも違うので、ハワイに戻る事にしたのだが・・・横浜から船に乗る直前、大正12(1923)年9月1日、勝彦が12歳の時に関東大震災に遭い、日本滞在を余儀なくされる。

 兄と共に立教大学に入学し、ハワイアン・バンドの「モアナ・グリークラブ」のボーカルとして活躍する。このバンドは、日本に初めてスチール・ギターの音色を伝えたと云われる。モアナ・グリークラブが設立されたのは、昭和4(1929)年だが、当初は、ハワイアン専門と云う訳ではなく、40〜50人が在籍した、音楽サークルだった。

 ここで、ハタ!と私が気が付いたのが、ディック・ミネ(1908〜1991)です。彼も立教大学で、バンドをやっていたんです。モアナ・グリークラブとの関係は、調べても判りませんでしたが・・・彼は、アルバイトのスチール・ギター奏者として、各レコード会社の録音に参加していましたから・・・もしかしたら、晴彦にスチール・ギターの奏法を教わったのかも知れません。

 この曲の作詞は、佐伯孝夫。作曲は、兄の灰田晴彦。ここで晴彦が弾いているエレクトリック・スチールは、リッケンバッカー製。
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ニックネーム 茶金 at 02:06| Comment(0) | 物置

2006年07月09日

アンフォゲッタブル

ナットキングコール 亡くなったお父さんの、ナット・キング・コールが歌っている「アンフォゲッタブル」をスクリーンに映写しながら、娘のナタリー・コールがデュエットすると云うアイデアを使ったこの曲は、1991年度のグラミー賞を獲得した。

 ナット・キング・コール Nat King Cole 1919年3月17日〜1965年2月15日 享年45 アラバマ州モンゴメリー生まれのジャズ・ピアニスト・歌手。本名ナサニエル・コール Nathaniel Adams Coles、「キング」は愛称。往年のファンや洋楽通からはナッキンコールと呼ばれる事が多い。

 Unforgettable / Natalie Cole with Nat "KING" Cole
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ニックネーム 茶金 at 17:40| Comment(0) | 物置

2006年07月08日

イナバウアー



 因幡晃がウワ〜^^。

 ♪ヒーロー、ヒーローになる時・・・

 お呼びでない?お呼びでないねぇ?こりゃまた失礼いたしやしたっ!

 たまに、こう云う記事を入れて当局の目を誤魔化すのがネットの疲労になる道です^^。

 もしかしたら、荒川選手が金メダルを取るかも知れないに・・・5,000点。結果はどうなるか判らないが、荒川選手の衣装のデザイナーには、金メダルを上げたい。衣装が非常に良くメダルものだ。残念ながら、村主選手と安藤選手の衣装は、あまり良くない。
イナバウアー.jpg
Y!ブログバランス^^.jpg
メダル.jpg
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ニックネーム 茶金 at 14:50| Comment(0) | 物置

2006年07月06日

キングストン・トリオ

キングストントリオ 55年に結成されたこのトリオは、ウィーヴァーズが開いたモダン・フォークの扉をくぐり抜け、トラッドなフォークをポップに再生して大衆の心をカッチリと掴んでみせた。

 なんといっても100万枚のセールスを記録したシングル「Tom Dooley」が有名だが、その他にも59〜61年までに6枚のゴールド・ディスクを獲得するなど、その人気のほどが窺える。またアイヴィー・ルックで身を固めたファッションも特徴で、清潔なイメージを保つことにより一般層にまでその魅力を浸透させた。

 61年に実質的リーダー、デイヴ・ガード(91年、死亡)が脱退してしまうが、グループはよりポップ色を強めて活動を続け、現在も継続中だ。(Yミュージック)


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ニックネーム 茶金 at 04:11| Comment(0) | 物置

2006年07月05日

波高し

ブロンディ しっかし・・・暑い。
 もう、暑っちくって、ウダウダと理屈っぽくて、暑苦しい記事は書きたくないので、スッキリ涼しく、過去コ〜ラ(^ω^)

 ブロンディは、この脱力感が信条だ。長屋でウダっていても、壁のナメクジの這った跡が、珊瑚礁に砕ける白い波紋を思わせる・・・う〜ん、ポエムだにゃ〜(^ω^)☆

 ソフト・アルコール・ドリンクがあれば、どのようなイメージも描く事は可能だス。もしかしたら私は、絵の具の代わりに缶チューハイでイメージを描く、ゴーギャンかも知れない(´,_ゝ`)プッ
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ニックネーム 茶金 at 13:50| Comment(0) | 物置

2006年07月04日

帰省

帰省 行楽・帰省ラッシュ・・・成田出国5万人、東北道64キロ渋滞
 お盆をふるさとや国内外の行楽地で過ごそうという人たちの帰省、移動ラッシュが11日朝から、始まった。下り新幹線は乗車のピークを迎え、羽田空港からの空の便も夕方までほとんどが満席となった。

 東北新幹線では、東京駅午前7時4分発の盛岡行き「やまびこ43号」が乗車率150%を記録。下りの各新幹線の指定席はほぼ満席が続いた。上りのピークは15日。

 高速道路では、午前10時過ぎに東北自動車道の福島飯坂インターチェンジ(福島市)付近で64.5キロの渋滞となるなど、各地で下り線が混雑した。

 成田空港からはこの日、約5万3000人が出国。近場のリゾート地などとしてここ数年人気のシンガポール、タイや中国などアジア方面に向かう人が目立った。(YOMIURI ONLINE)

 帰省ラッシュとは、年末年始やゴールデンウィークやお盆などに都市圏に在住している人が出身地である地方などに一時帰省する際に起こる混雑の事。年末年始、ゴールデンウィーク、お盆が過ぎると、今度は都市圏への帰宅によっておこるラッシュ(Uターンラッシュ)が発生する。

 帰省ラッシュの際は殆どの帰省者が自家用車・公共交通機関を使用するため、一般道・高速道路、鉄道、航空機・旅客船の混雑が起こる。そのため道路では渋滞、鉄道では乗車率の上昇・(指定席の場合は)指定券の不足(特に長距離移動の特急列車・新幹線)、ターミナル駅の混雑、航空機・旅客船では乗客率の上昇・空港・港の混雑と云った問題が発生する。

 解決にはラッシュ時(ラッシュアワー、通勤ラッシュ)と同じく他人と時間・日付をズラしての帰省が考えられるが、現在殆どの会社の仕事納めやお盆休みがほぼ同日なので、大幅に日付をずらすのは難しいと考えられている。

 大規模なラッシュを防ぐため、マスコミは年末年始、ゴールデンウィーク、お盆の頃になると必ず帰省ラッシュの混雑状況を報道している。しかしながら、帰省ラッシュの混雑解消に役立っているとは云えない状況が続いている(ラッシュ把握の目安にはなる)。

 米国にも、日本と同じように帰省ラッシュがある。サンクスギビング(感謝祭)やクリスマスを家族と過ごす習慣があり、この時期に帰省ラッシュが発生する。中国では旧正月の春節に帰省する人が多く、各交通機関は大混雑となる。(出典=ウィキペディア)
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ニックネーム 茶金 at 16:24| Comment(0) | 物置

2006年07月03日

紙入れ

姐さん^^ 「風呂敷」と同じような噺ですが、この演目の方が良く出来ていると思います。

 データ・・・五代目 古今亭志ん生 明治23(1890)年6月28日〜昭和48(1973)年9月21日 享年83 前名=七代目 金原亭馬生 出囃子=一丁入り 紫綬褒章 勳四等瑞宝章 本名=美濃部孝蔵
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ニックネーム 茶金 at 09:46| Comment(0) | 物置

2006年07月01日

小間物屋小四郎

大岡越前のつもり^^ 江戸時代には、携帯電話と云うものが無かったから・・・また、何処へ行くにも歩いて行き、日数が掛かったので様々な問題が発生しました。そんな感じの噺です。

 江戸〜長崎往復が、歩いて50日と云うのは、ちと早過ぎないかと思いますが・・・
 江戸時代の旅人は健脚で、日に十里(約40キロ)は歩いたと云われますが、それにしても、江戸・長崎間は、三百里もありますので、かなりの強行軍になってしまいます。

 「小間物屋政談」と云う、江戸南町奉行=大岡越前守が出て来る演目の前半部分です。

 それにしても、「三方一両損」にしろ、江戸落語に出て来るお奉行様は、南町奉行が多い。北町奉行の遠山の金さんが出て来る演目は、咄嗟には思い浮かびません。もしかしたら、そう云う演目は、無いかも知れません。

 それを考察してみるに・・・落語に出て来るお奉行様ってのは、頓智裁きが主体となっていますので、映画やテレビの時代劇ドラマに依って作られたイメージではありますが・・・桜吹雪の彫り物を見せて、被疑者を威圧して自白に追い込むスタイルの金さんよりも、俗に大岡裁きと云われるように、規則にとらわれずに温情あるお裁きをする越前の方が、受けもいいし、噺が作りやすいからなのかも知れません。
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ニックネーム 茶金 at 16:51| Comment(0) | 物置