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一門
2011年11月28日
「天狗裁き」と同じような根多ですが、落語には夢の噺が多いです。
「夢か・・・」で下げる演目が多いのですが、この演目のサゲは、ちょっと捻っています。
いやぁ〜、文楽師匠。長年、たゆまぬ工夫を重ねて、これだけの話芸を作り上げました。さすが、志ん生のライバルと云われたお師匠さんです。77歳の高座にして、この色気、そして、この華。今の噺家さんが、何十人、何百人束になって掛かっても、この師匠一人に敵いませんな。
くだらん記事を書くのは、黒門町に失礼なので、これ以上書きません。この話芸を「たっぷり」お楽しみ下さい。続きを読む
ニックネーム 茶金 at 07:00|
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物置
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2011年11月27日
剣の達人に斬られたんじゃぁしょうがない。斬られた事さえ判らない。
って事で、落語には、なまくら包丁で、毎夜、ムシロに包まった乞食を叩きに来るサムライが出て来る話が多いのですが、中には、「首提灯(くびちょうちん)」と云う演目のように、剣の達人が出て来て、斬られた事さえ判らないと云うような、見事に斬られちゃう演目もあります。
「首提灯」は、四代目 橘家圓蔵(1864〜1922。北品川に住んでいたので、俗に品川の圓蔵)が得意にしていたので、三遊の持ち根多と云えます。三遊亭圓生、林家正蔵、古今亭志ん朝の名演の映像や音源が残っています。志ん朝は三遊派ですが、正蔵は柳派なのに何で? とお思いになる方もいらっしゃるかも知れませんが、正蔵は元々は、後に三代目 圓遊になった、二代目 三福に17歳の時に入門して「三遊亭福よし」を名乗ったので、三遊派なんです。
正蔵が22歳の時の1917年1月には、師匠共々、品川の圓蔵の内輪弟子になりました。圓生は、子供の頃に、母親と共に圓蔵の内輪となり、圓蔵一門の色物として、豊竹豆仮名太夫の名で子供義太夫として、三味線の母親と共に四歳頃から出演していましたので、圓生も正蔵も圓蔵一門なんです。
正蔵が21歳で圓蔵一門に加わった時は、圓生は九歳で噺家に転向して、橘家小圓蔵を名乗っていた、16歳の二ツ目でした。圓生は、実年齢では正蔵より五歳年下ですが、圓蔵門下に十年以上居て小圓蔵を名乗っていましたから、まだ二ツ目になっていない正蔵の兄さんでした。
正蔵は、圓蔵一門に加わった翌年の1918年2月に、橘家二三蔵を名乗り、22歳で二ツ目になりました。翌年の四月には、23歳で三代目 三遊亭圓楽を襲名。順当に三遊本家内で地位を確立するのかと思われましたが、1922年2月に師匠の圓蔵が亡くなったために、柳派に移籍し、三代目 小さん(1857〜1930)の預かり弟子になります。
圓蔵名跡はその後、圓生の兄弟子で、圓生の母親と結婚したために、圓生の義父となった、後の五代目 圓生が五代目 圓蔵となり、1925年1月に、五代目 圓蔵が五代目 圓生を襲名した事により、空き名跡となった圓蔵名跡の六代目を圓生が、24歳で襲名しました。その後の圓生は、1941年5月に、40歳で六代目 圓生を襲名し、三遊本家の大看板となりました。
一方、三代目 小さんの預かり弟子になった正蔵はどうなったのかと云うと・・・兄弟子で、「ちりとてちん」の作者の小はんや、小山三(こさんざ。後の五代目 今輔)と共に、30歳の時に「落語革新派」と云う革命軍を結成しましたが、四ヶ月でポシャり、その後、東京落語協会に復帰して、三代目の下で兄弟子だった、四代目 蝶花楼馬楽(後の四代目 小さん)の内輪弟子になります。
昭和初期は、現代に於けるリーマン・ショックのような感じで世界経済が落ち込みましたが、日本とて例外ではなく、仕事が無くて多くの噺家が廃業や転業を余儀無くされました。正蔵も例外ではなく、落語だけでは生活できないので、「とんがり会」と云う、芝居脚本の朗読会や、徳川夢声の漫談研究会に入り、漫談の修行をしたりしました。よく、正蔵の事を「彦六」と云ったりする人がいるのですが、それは間違いです。「彦六」ってのは噺家の名跡ではありません。「彦六、大いに笑う」と云う、徳川夢声の戦前の映画の役名を、最晩年の正蔵が洒落で使っただけなんです。
で、1928年に三代目が存命中に、四代目 馬楽に小さん名跡の四代目を譲ったので、正蔵は、空き名跡となった馬楽の五代目を襲名しました。途中戦争があり、55歳の昭和25(1950)年に、八代目 林家正蔵を襲名しました。何故、五代目 小さんじゃないの? って事に関しては、長くなりますので、この記事では言及しません。
もう、滅茶苦茶尻切れトンボで、記事の体をなしてませんが・・・一記事にたった五千字しか書けないヤフーブログで、論文を展開する訳には行きませんので、ま、ブログの記事程度では、こんなもんでしょ。って事で、品川の圓蔵門下の、有能な門下生だった二人は、数十年の歳月を経て、圓生は三遊の親分となり、一方の正蔵は、柳の親分となった訳です。いや〜落語の歴史って、ロマンがあるなぁ〜って事で・・・続きを読む
ニックネーム 茶金 at 13:44|
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物置
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2011年11月26日
りんごの原産地は、カザフスタン南部、キルギスタン、タジキスタン、中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区など、中央アジアの山岳地帯、カフカスから西アジアにかけての寒冷地だと云われている。現在日本で栽培されているものは、明治時代以降に導入されたもの。
りんご(林檎)の語源には二説あり、中国の「本草綱目」と云う書物にある「林檎(りんきん)」を、別の読み方で「りんごん」と読んだ事から「りんご」に転じたとする説と、平安時代の「和名類聚抄」に「利宇古宇」と書いてあり、「りうこう」から「りんご」になったとする説がある。
りんごにまつわる逸話
ニュートンは、りんごが木から落ちるのを見て、「万有引力の法則」を発見したと云われているが・・・どうも、そうではないらしい。
アダムとイヴは、ヘビにそそのかされてリンゴを食べたと云うのも、後の時代の創作。
ウィリアム・テルが息子の頭の上にりんごを乗せて、弓矢を放ったのは有名な話。この「矢りんご」のデザインは、スイス人が好きなモチーフ。
ビートルズが昭和43(1968)年に設立したレコード会社の名前が、「アップル・レコード」。
スティーブ・ジョブスとスティーブ・ウォズニアックと云う二人の学生が、ガレージで製作したのが、最初のマイクロ(日本ではパソコンと呼ばれている)。やがて学生からの注文が殺到したため、アップル・コンピュータと云う会社を設立した。
当初の製品は、「アップル」「アップルU」と云うネーミングであったが、やがて、3.5インチ・フロッピーディスク・ドライブを一基内蔵し、ワンボタン・マウスを標準装備とした、ディスプレイ一体型の画期的なマシンを発表した。それのネーミングが、マッキントッシュ Macintosh(通称マック)。
マッキントッシュもりんごの品種名(日本名=旭)。本来の綴りは、McIntosh だが、著名なオーディオメーカーの「 マッキントッシュ」とバッティングするために、「Mc・・・」ではなく「Mac・・・」にしてある。(出典=ウィキペディア)続きを読む
ニックネーム 茶金 at 02:57|
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物置
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